盛岡の「さんさ踊り」で使われなくなった浴衣を利用し「さんさ裂き織り」製品として新しい価値を生みだしています。
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青森の「ねぶた」、秋田の「竿灯(かんとう)」、仙台の「七夕」、山形の「花笠」など、東北の夏を彩る祭の中で、トップを切って開催される祭が岩手県盛岡市にある。 「盛岡さんさ踊り」の浴衣と、南部に伝わる「裂き織り」の技術を融合させた「さんさ裂き織り」を提案する「幸呼来Japan(さっこらじゃぱん)」である。 |
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幸呼来Japan代表 石頭 悦(いしがしら えつ)氏。山形県酒田市出身の彼女は、高校は秋田、大学は山形で過ごした。「大学時代は教育学部でしたので、将来は教育者を目指していました」。 |
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高等支援学校は、障害を持った人の職業訓練などが行われるところだ。石頭氏はそこで、生徒さんが作った裂き織作品に感動する。 |
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盛岡市緊急雇用創出事業としての運営は、2010年7月〜2011年3月で予算が切れたが、盛岡市が行う「ふるさと創生事業」という行政の取り組みで、もう1年、支援が受けられることになった。その矢先、あの東日本大震災が起こった。「震災の影響で、リフォーム会社での裂き織り事業の継続は困難になってしまいました。社長からは、事業の廃止を相談されました。でも、盛岡市の支援はあるし、私としては、今働いている障害者の方の働く場所がなくなるのは絶対に避けたいと考えていました」。石頭氏が独立を決意するのに時間はかからなかった。社長も彼女の決断を認め、こころよく送り出してくれた。こうして裂き織事業は一人歩きを始めた。幸呼来Japanの誕生だ。 |
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裂き織をこなすスタッフは、支援学校の卒業生が幸呼来Japanに就職してきた。とにかく仕事中の集中力がすごい。そして、作業の丁寧さが庶民の暮らしの中で育まれた裂き織の完成度を、製品レベルにまで高めている。障害者の技術+岩手の裂き織技術の継承。石頭氏の理想は着実にかたちになり始めていた。しかし、いくら製品が素晴らしくても、スタッフが数人しかいない体制では、事業として成り立たない。石頭氏は生産体制を整えるために「就労継続支援A型事業所」として申請し、障害のあるスタッフを多数雇用しても事業が継続できるように体制を整えた。 |
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編み目が詰まっていて縦糸のラインが揃っている細かな処理から生まれる美しい裂き織は、幸呼来Japanならではの品質といえる。浴衣の色柄によって、さんさ裂き織りの柄も偶然出来上がる。だから、全く同じ柄は作れない。ある意味、世界で一つのものが完成するのだ。「私たちの〈さんさ裂き織り〉は、さんさ踊りの浴衣から作っているから、カラフルでキレイです。若い人も使いたくなるような商品を作りたいと思っています」。 幸呼来という縁起のいい字面と、美しい製品の魅力で、さんさ裂き織りは今、世界でも注目されはじめている。 |
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